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安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

奇跡の人ら

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若き日の柳澤桂子さん。奇跡的美貌!


昨夜のスイッチインタビュー、奇跡のツーショット!
SWITCHインタビュー 達人達(たち) - NHK


まずは福島智さんについて、
5,6年前に爆問学問でこの人を知って、ご本「盲ろう者として生きて」を読み、驚き、感銘を受けました。


福島智さんは間違いなく奇跡の人。
奇跡の人ら、と書いたからにはもう一人奇跡の人がいて、それが柳澤桂子さん。

この人のことも過去に何度か文章にした覚えがあるのであっちこっち探し回ったけど発見できず、ずいぶん昔のことだったのかも。

最初にこの人をテレビで見たとき、柳澤桂子さんは、原因不明の病気で、それも大変な苦痛を伴う症状がずっとずっと続くという過酷な状態で、その時点(テレビのドキュメンタリー番組中)ですでに何十年もそういう闘病生活が続き、もうその苦痛に耐えられないということで安楽死を望み、その彼女の希望に対応するご家族の姿を真摯な視点でとらえた秀逸なドキュメンタリーだった。

私はチャンネル移動の途上でたまたま途中から見始め、釘付けになってその番組を見終えた。
最後まで結論は出ず、というか安楽死を家族は受け入れられず柳澤桂子という女性の耐え難い苦痛は今後も続くだろうという気配を残してその番組は終わっていた。

その時点で私はこの女性のことを何も知らず、どこかの難病に苦しむ人の気の毒な話くらいに捉えていた。

それから数年後、それもまた、たまたま目に入ってきたテレビの画面上にその人がいて驚いたのだ。
柳澤桂子さんは、そのとき奇跡の回復をされていた。
その番組では回復に至ったまさに奇跡のような経緯が語られていた。
詳細をうまく説明できないんだけど、それは本当に奇跡のような出来事だったのだ。
そして、柳澤桂子という人がただの難病に苦しむ人ではなかったこともそのときになってやっと知った。

生命科学者として将来を嘱望されていたこと。研究者として目覚ましい結果を出しつつ結婚もし子どもを育て、その子育てにも一段落をつけて、さあ、研究に本腰を入れられるという矢先の発病であったこと。闘病中にもいくつもの論文を執筆されていたこと。

私がテレビで最初にこの人を見たとき(安楽死を巡ってのご家族との葛藤を描いたドキュメンタリー)、それは徐々に体が弱まり食事も摂れなくなり、字も書けなくなり・・・といったそういう状況だったのだ。

その数年後に奇跡の回復をされた姿を私が再びテレビで目にするまでの長い長い日々を彼女はずっとずっと原因不明の過酷な痛みに耐え続けてられたのだ。それだけでも想像を絶する。

いくつかのご本を読ませていただいて、私はすっかりこの人のファンになった。
過酷な闘病中にもかかわらず発表された生命科学にまつわるエッセイなどを読んで、本当に感服してしまった。闘病の苦しさについての言及が最小限にとどめられているのだ。多分彼女の生活の大半を占めていたであろうその苦痛について、ほんのちょっぴり控えめに触れられているだけで、生命科学の面白さをはずむような筆致で書かれていたりするのです。
そしてそして、皆さん、もっと驚くべきことにこの方、すごい美人なんです。
例えば今ネットでこの人の名前を検索して出てくる現在のお姿も決して見苦しくはないけど、やはり永の闘病でその美貌は損なわれてしまったのでしょう。お若い頃の写真を見ると女優さんみたい、もしくは若き日の美智子皇后にも面差しが重なりますねぇ、これもまた奇跡的じゃありませんか。

と、つまり、ミモザ的に「奇跡の人だぁ」と思わせられた福島智さんと柳澤桂子さんという二人の「奇跡の人」が昨夜件(くだん)のテレビ番組にて会談されたわけです。おおお、奇跡的!


そして奇跡の人らの会談は素晴らしかったです。
私は1時間ずっと正座して固唾をのむようにして、目は釘付けで見入った、聞き入った。
テレビをこんな風に見るのは山田太一さんのドラマくらいのもんだ。
だいたい忙しいミモザはテレビは何かをしながら見ている。(まあ、カルテットなどはかなり釘づけであったが、それでも途中でコーヒーを淹れてみたりなど程度の余裕はあった)

それが夕べは、本当に一時間正座で釘づけだった。
随所で福島さんに笑わせられ、福島さんに笑わされる桂子さんと一緒にさらに笑い、笑いながら深く深く心が動かされ、自然と目尻から暖かい液体がしみ出ていた。
本当に素晴らしい一時間だった。

福島智さんが本の中でも繰り返し書いたり、夕べも口にされていたように、自分から光も音も奪って、神(というものがいるなら)はなんちゅうえげつないことをするのか、と恨んだ後に、こういう自分に何を(神は、そんなものがいるなら)させようとしてるのか?と考えるようにいたる所は何度聞いても体が震えるほど感動してしまう。
苦境に陥った人間がそんな風に考えることはよく耳にするのでそれ自体は珍しい発想というわけではないけど、その苦境のスケルとそこから生きる意義を見つけ出すエネルギーのスケルがあまりに大きくて打ちのめされてしまうのだ。

福島智という人は本当に、きっと神に遣わされた人なんだろうと思う。

対談の終わりの方で福島さんのことば。

「私には先生のお姿は見えませんが、柳澤先生のことばがしみいるようでした。」

私にもお二人のことばが心に心に深く深く染み入るようでした。



苦難の多い人生を与えられつつ、そこから宝石のような智慧を熟成されたお二人からはもっともっとちゃんと学ばなければあまりにもったいなく申し訳ないことです。


本当にありがとうございました。



http://www4.nhk.or.jp/switch-int/2/

再放送情報↑


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生きてて良し、ですか?

NHKEテレの0655で最近毎日流れてくるのが「だじゃれDE1週間」という歌。
すっかり覚えて、一日中口ずさんでいる。

げっつようびがはじまんでー
かようびあいさつちーすでー

てな調子。この歌をバックに画面には素朴なアニメ、これがめっちゃかわいい。

そーんなかんじで1週間、がんばるで~♪

って感じで、特に雨の月曜日には自分を鼓舞するために?何度も歌ってしまうのか。


60歳の日々はこんな調子でいいのかな、と省みればいろいろ自分でツッコミどころが大いにあるのではあるが、
だけどもう、自分にそんに厳しくできない。っつうか厳しく自分を律して何を得ようとしてるのか、と問い直した時の返答に自分で困るわけよね。

60代の人たちのブログをあれこれ読んで歩いてみて、感心することも多々あり。

だけど、基本私って私が好きなんだよね。私は私で良しっ!なのである。

このブログ、始めて見たものの、最初のテンションは急激に減退してはいる。

でも、多分続ける。老いゆく日々を記録でもしとかないと、ただもう雲散霧消するばかりで、雲散霧消してもちっとも困りもしない日常なのではあるが、せめて自分一人ぐらいは、雲散霧消するだけの日々ではもったいないじゃないかと、自分一人ぐらいはこの片隅のささやかな日常に哀惜をかんじてやろうじゃないか。だからとにかく書き留めよ、なのである。

昨日夕方電話あり。
新しい入塾希望の電話。

こういう一つだけでも自分の価値ではあるでしょう。
「○○さんからお聞きして。とってもいい先生だって」

はい、ありがとうございます、ありがとうございます。

こんな私でも生きてていいんですよね。

生きてて良し!(崎谷先生の声に似せて自分で言ってみるだけ)


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ゲロ

自分ちでほそぼそと塾業をしてまして。
完全個別指導なので、家庭教師みたいなもんです。家庭に行かない家庭教師ね。
一般的な「塾」ではついていけないような子がやってきます。
家庭教師並みの手厚い指導ながら1時間1400円という激安授業料なので、1週間の指導可能コマ数は全部埋まっとります。
口コミで生徒は集まってきます。
全部埋まっても授業料の総額は8万円くらいにしかならない。
細々(ほそぼそ)と細々(こまごま)と塾業営んでます。

こんな収入じゃ離婚するわけにもいかないので、多分死が二人を分かつまで夫婦でいることでしょうよ。

今日は珍しく毒本音のかけらをこぼしました。

ま、こんな夜もあります。

また、追々吐きにきます。


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会合の予算ないのかコッペにクスリ

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コッペにクスリさん。



「会合の予算ないのかコッペにクスリ」

これは柴門ふみの漫画「PS元気です、俊平」の中に出てくる、世界史の年代を覚える語呂合わせの名文である。

コペルニクス地動説を唱える。1543年。

この不思議な文のどこに1543が隠れているか考えてみよう!
しかも、コッペニクスリってなに?


ま、それはさておき。


さっき昼休みにスーパーへ走ってきた。
今日はポイント3倍の日だからまとめ買いよ。

でも慌てて出かけてお財布の中にお金が入ってなかったのだ!だ!だ!

こういうときにポイントで貯めたお買い物券を使えばいいんじゃない?
と早速カードでお買い物券を引き出そうとしたら、ら、ら…

暗証番号がわからない。い。い。(エコーはもうええっちゅうねん)

私は各種カードの暗証番号を世界史上大イベント年号にしている。

たとえばフランス革命とかー

太平天国の乱とかー

女真族統一、ヌルハチ決起とかー(シブい)


で、いくつかの年号を入力してみたんだけどどれも「暗証番号が間違って入力されました」と言い返してくるではないか。

あれれ?

んじゃ、永楽帝?1402(異様に栄える永楽帝

違うんだって。

もうわからん。
それ以上年号覚えてないし…

とほほ。

諦めて一旦帰ってお金握り直してスーパー行き直して、買い物し直しました。


ああああ、暗証番号なんだろう?

せっせと貯めたお買い物ポイントどうなっちゃうんだろう?


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屋根の上のヴァイオリン弾き

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映画版「屋根の上のヴァイオリン弾き」でテヴィエを演じたトポリ。父のほうがハンサムだけどね。




屋根の上のヴァイオリン弾き」という映画をはじめてみたのは高校生の頃だったか(そういえば、ミモザは高校時代映画研究会副部長だったっけ)。

その後随分と経ってから結婚後に再びビデオで見たとき、主人公のテヴィエの人生がある男性を思い起こさせ、それ以来特別な映画になった。

その男性は韓国人で、戦争前まだ彼の幼い頃に家族とともに密入国のようなかたちで日本に渡ってきたらしい。

在日韓国人として差別と貧困の中での彼の人生と、祖国を持たない流浪の民ユダヤ人テヴィエの人生とが重なり合うように思えた。

3人の娘の結婚に際してのテヴィエのためらい、苦悩、諦めの表情を見るとき、彼にも3人の娘がいたこと、テヴィエ同様にそれぞれの結婚は決して彼の望むようなものではなかったことなど、人知れず映画の中のテヴィエと同じ表情の彼がいただろうと想像した。
そしてその度、テヴィエと同じように諦めがたい何ものかを押し込んでひたすら娘たちの幸福を祈ったのだろうと思う。
この男性とは私の父のことです。父はもう10年以上前に亡くなり、晩年の3年間は痴呆状態にあった。

私が自分の出自を遅まきながら意識し、ルーツとしての父の生い立ちについてもっと知りたい、聞かせてほしいと願った時には父は娘に語る言葉をなくしてしまっていた。

映画の中でテヴィエが「トラディション!」と叫ぶところでは、父は本当は子どもたちに民族の誇りについてもっと語りたかったのではないかと想像した。

アナテフカへの思いを哀歓込めて歌うシーンでは、還暦の祝いの席で父が古い友人と「誰か故郷を思わざる」を歌ったときのことを思い出した。
多分に私の勝手な思い込みによるところが多いのだろうが、時間が過ぎ、父の実像が薄れていくほどにテヴィエと父が近づいていくように思う。

そうそう気の強い妻を持っていたところもテヴィエに似ていた。

その気の強いテヴィエの妻、じゃなかった私の母は今年91歳。兄一家と、父が建てた京都の実家で息災にしてくれている。


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レズのご夫婦

私が生まれたのは京都の市街地で下町風情のただよう、新撰組で有名な壬生(みぶ)というところです。
路地の入り組んだ長屋で10歳まで暮らしました。

その長屋の一軒にレズのご夫婦が住んでいました。
ご主人の方は背広のようなきちんとした洋服を着て毎朝お勤めに出かけていました。
奥さんは日舞の先生でいつも和服姿です。

子どもの目には年齢が判断できませんでしたが2人とも若くはなかったと思います。
レズということばも意味も知らないけれど、大人たちの向ける視線で、特別な人たちという認識は子どもながらにありました。

小型の犬を飼っていて、お散歩から帰ると足をきれいに拭いて家に上げていました。
家の中で犬を飼うことは、50年前の京都の下町では珍しいことでした。
私の母は特に動物を不衛生だと思い込んでいましたので、奥さんが犬を抱っこして家に入っていくのを見かけると「着物が犬の毛で汚れるのに」とおせっかいな心配をしていました。そのおせっかいの口調にはそれだけではない嫌悪?気味悪さ?も含まれていたことを思い出します。

駄菓子屋さんに行く時にはその家の前を通ります。夏には長屋ではどこの家でも玄関の戸を開け放っているのにそのお家だけはいつも戸がきちんと閉じられていました。大人たちの感覚が伝染して子ども心にもその家に住む人たちはちょっと気味悪くて謎に満ちていました。
10歳で郊外へ引越してそれっきりです。
大人になって、あの人たちは同性愛カップルだったんだ、と認識しました。

昭和30年代の日本で、自分たちの生き方を貫いた人たちだったという認識はずっとずっと後になってからでした。



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シロイマケイヌ⑤

シロイマケイヌ 最終回

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その秋が深まって冬になって長い冬を僕たちは静かにゆっくりと過ごした。

僕は両親と3人暮らし。姉貴がいるけどもう結婚して子どもが二人居る。

まじめな大学生のミカコと残業の多いサラリーマンの僕のデートは日曜日だけで、その日曜日にたまに両親ともが出かける日曜日がミカコが僕の部屋へやってくる日曜日で、そのたまのたまの日曜日が、キスが出来る日です。あの記念樹のボトルが僕の部屋にあるから。

日曜日も毎週会えるわけではなくて、僕が出張に出かけていない日曜日もあるし、ミカコが母親の機嫌をとるために外出できない日曜日もある。

僕は急がないことにしました。

ミカコはこの頃よく笑うようになったし、外出先では、携帯用の消毒綿であっちこっち拭いてからでないと手でさわれなかったミカコの拭き拭き行動は少し減ってきたような気がするし、おとといの日曜日は散歩の途中で立ち寄ったアイスクリームスタンドのソフトクリームを僕に一口舐めさせてくれた。その後も平気でミカコはソフトクリームを舐めていた。

僕は、へええ、と思ったけど何もいわなかった。ミカコ自身が気がついているならそれはそれでうれしいし、気が付かないでしているんだったらそれでもよかった。

だから、今でも僕は一日に2回してますよ。

いつかミカコが僕の体の下で、そっとその両足を開いてくれる日をゆっくり待ちながら。

シロイマケイヌ。

僕はオナニーの後その後始末をしながら僕自身のことをそう名づけたくなるときがあったんだけど、この頃のミカコの笑顔を見ていると、マケイヌの顔も笑ってるような気がするんだ。気のせいかな。

おわり



読んで下さって、ありがとうございます。(ぺこりんこ)


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