安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連休中のわたし、実話ときどき法螺 その2

隣県県都に到着したのが12時で、まずはホテルに車と荷物を預け、ヒカリがみつほし百貨店(仮名)に行きたいというので向かふ。

ミ)みつほし百貨店(仮名)で何買うの?

ヒ)夏用パジャマ。

という会話あり。

彼んちにお泊まりに行くときの、ちょっといい夏用パジャマを狙っているらしい。

それを母親と買いに行くんかい!とミモザは心でツッコミつつも、これはこれで致し方のない所もあるのでございます。
ヒカリは、思春期以降、20代のほぼ全期をただただ食べて吐くということだけに青春の情熱のほとんどをつぎ込んでしまったので、ちょっと普通のお嬢さんとは違う感覚の持ち主なんです。同年代の女の子が経験することを全く経験せず、その経験から蓄積させるはずの諸々の感覚が非常に世間値とかけ離れている。

ま、そういう事情のある母娘道中なので、へーんな親子と思われることがあったとしても見逃して読み飛ばしておいてください。

で、じぇらーと・ぴけとかなんとかそんなブランドのお店の、ちょっとお高めの、んだけどすんごく手触りのいい夏用パジャマをお買い上げ。(え?そんなに高いの、買うの?)

その後も百貨店2階あたりのヤングアダルトファッションを見て歩き、流行具合をリサーチし、リサーチだけ~で満腹になり、6時からのY・M(なんで匿名)のライブへ。(これはヒカリがある雑誌の抽選におふざけで応募し当選してしまったチケットにて)

ライブが終わると、ミモザの大学時代の親友ちゃまこ(仮名)が出口付近で待っててくれて、いざ、飲みに行くんだ!んだ!んだ!(やる気満々エコー)

つづく。


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連休中のわたし、実話ときどき法螺

連休中のミモザの体験的虚実話をいたしたいと存じます。
(実話ばかりではおもんないのでうっかり法螺を吹いてしまうかもしれないというニュアンスを込めております)

前半は一人娘と隣県へドライブ小旅行としゃれこむ。
一人娘を仮にヒカリと称す。

ヒカリは34歳で独身で公務員で、恋人は一応いるらしいが結婚は双方とも望んでいなくて、ゆえにただの浮ついた恋愛関係をエンジョイするというまことに結構な34歳的私生活を満喫している。

とはいえ、ヒカリ34歳の人生は、それほど平坦で幸福なものではなかったのです。

14歳で拒食症。
その後15年間にわたって摂食障害の過酷な症状のなかで、ほぼ青春時代を、ただ食べることへの偏執的なこだわりに振り回されるだけの、そんな青春時代を過ごしていたのでした。

30歳を目前にしたあたりに、なにか奇跡的展開が彼女の身に起こり、ちょうどその時期に、何年間も受けては落ちていた公務員試験にも受かり、過酷なばかりだった10代後半&20代のあらかたの膨大な時間のトンネルを抜け、現在に至る。
奇跡展開は奇跡的としか言いようのない展開でしたのでそれ以上のことが言えません。

と、そんな一人娘のヒカリとミモザ親子。今は幸せ。
このところ、恋人と浮かれポンチ気味でお母さんを放ったらかしだったことをちょっぴり反省してなのかどうか、とある雑誌の抽選に応募して、とあるバンドのライブチケットを入手したヒカリから、「おかあさん、いっしょにどう?」と誘われ、しっぽを振って「いくいく」と応える母ミモザなのでした。(その直前に恋人との東京旅行をすませていたから、ヒカリとしてもちょっとした気分転換程度の母への誘いということは分かっていても気づかぬふりをするのが大人なミモザの振舞いである。)

29日の朝10時30分、しゅっぱーつ。
晴天、緑が目にしみる、しみるような緑の背後にのたりのたりの春の海の薄水色が垣間見えたりもする。いいね、いいね。

今日は助手席ミモザ、高速に乗った途端に缶ビールをぷっしゅ~~と音立ててあけて、ああ、ひと口めのビールのうまさよ、ほーほけきょ。



つづく


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連載小説「はじめまして」②

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はじめまして②

この通院を朋子はいつからか心待ちにするようになっていた。面談室のドアを開け、デスクに向かう近藤が椅子をくるりと朋子の方へ回転させる一瞬にときめくようになったのはいつ頃からだろう。近藤は四十代の前半という年回りだろうか。白衣を着ないでいつもセーターかポロシャツという格好でいる。癖のない髪をやや伸ばしていて、前髪を掻き揚げるしぐさが子どもっぽいと朋子は思う。

学生時代の恋人にどこか似ている。その恋人とは大学の四年間付き合った。とても好きだった。卒業後その恋人は郷里の高知県へ帰ることになり、朋子に結婚を申し込んだ。朋子は逡巡した。大きな寺の長男である恋人との結婚は、朋子の成育環境とあまりにかけ離れた結婚生活を予想させたし、何よりも両親が反対した。
朋子の父親は弁護士である。兄もその当時司法修習生だった。母は行政書士という一家で、そういう家庭がかもし出す雰囲気を朋子はある年齢まではごく普通のものだと思っていた。少し成長してから友人の家庭を垣間見る機会に、その差異を実感することがたびたびあった。
高校時代、放課後に友人の家に立ち寄ったとき、友人に伴われその家のリビングに通された朋子はその場にいた友人の母親に挨拶しようとして立ちすくんでしまった。友人の母親はテレビを見ながら泣いていたのだ。そして自分の母親が泣いている姿に友人は笑いながら、「もう、また泣いてるゥ、ママったら。」と言い、そのまま朋子にも笑いかけた。言われたほうの母親は、今度は笑いながら、「一日に一回このドラマを見て号泣するのがママのストレス発散法なのよ。」と言ってから、初めて朋子に気がついたように、「いらっしゃい」と声を掛け、掛けられた朋子はすぐに挨拶を返せなかった。今まで経験したことのない雰囲気にたじろいだというか。それはほほえましい光景だった。友人の母親は、ティッシュで洟をかみ、目を真っ赤にしたままキッチンに立ち、友人も一緒に朋子のためにお茶やおやつの用意をしながら始終仲良くおしゃべりを続けていた。朋子は、自分の家庭とはずいぶん違うものだ、とまず感じた。ほほえましくて悪い感じはしなかった。けれど、と朋子は思う。人前で大きな声で笑ったり、まして泣くことなどまったくない自分の母親を思い浮かべて、そんな母親でよかった、と思った。朋子が何か迷ったときにはすぐに答えを出してくれる。間違った方向へ進みそうなときは訂正してくれる。朋子は常に背後にある母親の視線を感じていたし、そのことに安心していられることを幸福なことだと思っていた。母親は友達とは違うのだから、一緒に笑ったりおしゃべりするよりいつも正しいことを言ってくれるほうがいい。朋子は自分の母親がそんな母親でよかった、ともう一度思った。今目の前で楽しそうに笑っている友人の母親を好もしく思うことは自分の母親を否定することのようで、それは母親に対する裏切りだと思えた。

恋人との結婚に対する父や母の反対にまったく抵抗しなかったわけではない。反対されることで燃え上がる恋情がなくはなかったが、それでも、寺の跡取りの妻になる自分を想像できなかった。
父も母も決して理不尽な反対の仕方ではなかった。理詰めで説得され、納得せざるを得ないような形で、結局はその恋を断念したのである。理不尽に反対され両親を恨むことができたならまだよかったのかもしれない。朋子はどこにももって行き場のない喪失感の中で自分が半分死んでしまったような気がした。それも自分の手で殺した、という思いが残った。もう二度と人を好きになることはないだろうと思えた。

つづく


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連載小説「はじめまして」①

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はじめまして①

朝、目覚めの一歩手前のまどろみの中で、夫の修一が手を伸ばしてきた。朋子のネグリジェの裾をたくし上げ、パンティに手をかけ引き下げる。条件反射のように腰を浮かせて協力するような動きをしてしまってから朋子は、ふっと夫のいる左側の腕が粟立つような感覚を覚えた。
十歳年上の夫はまもなく五十歳に手が届く。朋子の目の位置にある夫の肩の皮膚にも老いが見え始めていた。見慣れたホクロも若いころに比べると色あせたように見える。
朋子はずっと目を開けていた。修一は眠そうに時折目を開け朋子をチラッと見てまた目を閉じる。黙ったままで体を動かし勝手に果てたようだ。すぐに体を離してぐったりと仰臥している。その胸が波打っている。朋子の胸はしんとしている。ネグリジェがたくし上げられたまま、下半身を露わにしてしんと横たわる自分がいた。
枕もとの時計は六時十分を指している。今日は土曜日。夫はそのまま再び寝入ってしまったようだ。薄い綿毛布を夫の体に掛ける。寝顔を見て小さな憎しみが湧くような気がした。無理に目を閉じる。
近藤の、カルテに何かを書き込む繊細な指の映像が浮かんだ。その指が朋子を慰撫するように動くという想像をしてはっとして目を開けた。

近藤は精神科医である。もう一年以上も学校へ行けないまま家の中に閉じこもりがちになっている長女の春菜が通院している国立小児病院の心療内科で春菜を担当している医師である。

通院は一週間に一度、土曜日の午前中。
中学一年の二学期ころから学校へ行きしぶるようになり、三学期には完全に登校しなくなった。理由を問うても答えらしいものは返ってこなかった。本人にもわからないことだったのかもしれないが、朋子は苛立ち、混乱した。食事を摂らなくなり、夜眠れないと訴えだして学校のスクールカウンセラーの勧めで心療内科を受診したのが半年前のことである。
最初は三十代の女性だったが、春菜が馴染めないという理由で担当を代わってもらった。
春菜は、近藤に対しては今のところ文句を言わず受診している。十分間くらい春菜と近藤が面談し、そのあとで朋子と近藤の面談。あわせて三十分くらいの診療である。
JRと私鉄を乗り継いで二時間はかかる。予約をとっていてもいつも一時間くらいは待たされる。通院の日は八時前には家を出なくてはならない。そして帰宅は三時を過ぎる。一日仕事になる。通院日である土曜日の早朝に体を求めてきた夫に抱いた嫌悪感は、もしかしたら朋子の心の中のやましさが生み出したものかもしれない。

つづく



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奇跡の人ら

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若き日の柳澤桂子さん。奇跡的美貌!


昨夜のスイッチインタビュー、奇跡のツーショット!
SWITCHインタビュー 達人達(たち) - NHK


まずは福島智さんについて、
5,6年前に爆問学問でこの人を知って、ご本「盲ろう者として生きて」を読み、驚き、感銘を受けました。


福島智さんは間違いなく奇跡の人。
奇跡の人ら、と書いたからにはもう一人奇跡の人がいて、それが柳澤桂子さん。

この人のことも過去に何度か文章にした覚えがあるのであっちこっち探し回ったけど発見できず、ずいぶん昔のことだったのかも。

最初にこの人をテレビで見たとき、柳澤桂子さんは、原因不明の病気で、それも大変な苦痛を伴う症状がずっとずっと続くという過酷な状態で、その時点(テレビのドキュメンタリー番組中)ですでに何十年もそういう闘病生活が続き、もうその苦痛に耐えられないということで安楽死を望み、その彼女の希望に対応するご家族の姿を真摯な視点でとらえた秀逸なドキュメンタリーだった。

私はチャンネル移動の途上でたまたま途中から見始め、釘付けになってその番組を見終えた。
最後まで結論は出ず、というか安楽死を家族は受け入れられず柳澤桂子という女性の耐え難い苦痛は今後も続くだろうという気配を残してその番組は終わっていた。

その時点で私はこの女性のことを何も知らず、どこかの難病に苦しむ人の気の毒な話くらいに捉えていた。

それから数年後、それもまた、たまたま目に入ってきたテレビの画面上にその人がいて驚いたのだ。
柳澤桂子さんは、そのとき奇跡の回復をされていた。
その番組では回復に至ったまさに奇跡のような経緯が語られていた。
詳細をうまく説明できないんだけど、それは本当に奇跡のような出来事だったのだ。
そして、柳澤桂子という人がただの難病に苦しむ人ではなかったこともそのときになってやっと知った。

生命科学者として将来を嘱望されていたこと。研究者として目覚ましい結果を出しつつ結婚もし子どもを育て、その子育てにも一段落をつけて、さあ、研究に本腰を入れられるという矢先の発病であったこと。闘病中にもいくつもの論文を執筆されていたこと。

私がテレビで最初にこの人を見たとき(安楽死を巡ってのご家族との葛藤を描いたドキュメンタリー)、それは徐々に体が弱まり食事も摂れなくなり、字も書けなくなり・・・といったそういう状況だったのだ。

その数年後に奇跡の回復をされた姿を私が再びテレビで目にするまでの長い長い日々を彼女はずっとずっと原因不明の過酷な痛みに耐え続けてられたのだ。それだけでも想像を絶する。

いくつかのご本を読ませていただいて、私はすっかりこの人のファンになった。
過酷な闘病中にもかかわらず発表された生命科学にまつわるエッセイなどを読んで、本当に感服してしまった。闘病の苦しさについての言及が最小限にとどめられているのだ。多分彼女の生活の大半を占めていたであろうその苦痛について、ほんのちょっぴり控えめに触れられているだけで、生命科学の面白さをはずむような筆致で書かれていたりするのです。
そしてそして、皆さん、もっと驚くべきことにこの方、すごい美人なんです。
例えば今ネットでこの人の名前を検索して出てくる現在のお姿も決して見苦しくはないけど、やはり永の闘病でその美貌は損なわれてしまったのでしょう。お若い頃の写真を見ると女優さんみたい、もしくは若き日の美智子皇后にも面差しが重なりますねぇ、これもまた奇跡的じゃありませんか。

と、つまり、ミモザ的に「奇跡の人だぁ」と思わせられた福島智さんと柳澤桂子さんという二人の「奇跡の人」が昨夜件(くだん)のテレビ番組にて会談されたわけです。おおお、奇跡的!


そして奇跡の人らの会談は素晴らしかったです。
私は1時間ずっと正座して固唾をのむようにして、目は釘付けで見入った、聞き入った。
テレビをこんな風に見るのは山田太一さんのドラマくらいのもんだ。
だいたい忙しいミモザはテレビは何かをしながら見ている。(まあ、カルテットなどはかなり釘づけであったが、それでも途中でコーヒーを淹れてみたりなど程度の余裕はあった)

それが夕べは、本当に一時間正座で釘づけだった。
随所で福島さんに笑わせられ、福島さんに笑わされる桂子さんと一緒にさらに笑い、笑いながら深く深く心が動かされ、自然と目尻から暖かい液体がしみ出ていた。
本当に素晴らしい一時間だった。

福島智さんが本の中でも繰り返し書いたり、夕べも口にされていたように、自分から光も音も奪って、神(というものがいるなら)はなんちゅうえげつないことをするのか、と恨んだ後に、こういう自分に何を(神は、そんなものがいるなら)させようとしてるのか?と考えるようにいたる所は何度聞いても体が震えるほど感動してしまう。
苦境に陥った人間がそんな風に考えることはよく耳にするのでそれ自体は珍しい発想というわけではないけど、その苦境のスケルとそこから生きる意義を見つけ出すエネルギーのスケルがあまりに大きくて打ちのめされてしまうのだ。

福島智という人は本当に、きっと神に遣わされた人なんだろうと思う。

対談の終わりの方で福島さんのことば。

「私には先生のお姿は見えませんが、柳澤先生のことばがしみいるようでした。」

私にもお二人のことばが心に心に深く深く染み入るようでした。



苦難の多い人生を与えられつつ、そこから宝石のような智慧を熟成されたお二人からはもっともっとちゃんと学ばなければあまりにもったいなく申し訳ないことです。


本当にありがとうございました。



http://www4.nhk.or.jp/switch-int/2/

再放送情報↑


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生きてて良し、ですか?

NHKEテレの0655で最近毎日流れてくるのが「だじゃれDE1週間」という歌。
すっかり覚えて、一日中口ずさんでいる。

げっつようびがはじまんでー
かようびあいさつちーすでー

てな調子。この歌をバックに画面には素朴なアニメ、これがめっちゃかわいい。

そーんなかんじで1週間、がんばるで~♪

って感じで、特に雨の月曜日には自分を鼓舞するために?何度も歌ってしまうのか。


60歳の日々はこんな調子でいいのかな、と省みればいろいろ自分でツッコミどころが大いにあるのではあるが、
だけどもう、自分にそんに厳しくできない。っつうか厳しく自分を律して何を得ようとしてるのか、と問い直した時の返答に自分で困るわけよね。

60代の人たちのブログをあれこれ読んで歩いてみて、感心することも多々あり。

だけど、基本私って私が好きなんだよね。私は私で良しっ!なのである。

このブログ、始めて見たものの、最初のテンションは急激に減退してはいる。

でも、多分続ける。老いゆく日々を記録でもしとかないと、ただもう雲散霧消するばかりで、雲散霧消してもちっとも困りもしない日常なのではあるが、せめて自分一人ぐらいは、雲散霧消するだけの日々ではもったいないじゃないかと、自分一人ぐらいはこの片隅のささやかな日常に哀惜をかんじてやろうじゃないか。だからとにかく書き留めよ、なのである。

昨日夕方電話あり。
新しい入塾希望の電話。

こういう一つだけでも自分の価値ではあるでしょう。
「○○さんからお聞きして。とってもいい先生だって」

はい、ありがとうございます、ありがとうございます。

こんな私でも生きてていいんですよね。

生きてて良し!(崎谷先生の声に似せて自分で言ってみるだけ)


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ゲロ

自分ちでほそぼそと塾業をしてまして。
完全個別指導なので、家庭教師みたいなもんです。家庭に行かない家庭教師ね。
一般的な「塾」ではついていけないような子がやってきます。
家庭教師並みの手厚い指導ながら1時間1400円という激安授業料なので、1週間の指導可能コマ数は全部埋まっとります。
口コミで生徒は集まってきます。
全部埋まっても授業料の総額は8万円くらいにしかならない。
細々(ほそぼそ)と細々(こまごま)と塾業営んでます。

こんな収入じゃ離婚するわけにもいかないので、多分死が二人を分かつまで夫婦でいることでしょうよ。

今日は珍しく毒本音のかけらをこぼしました。

ま、こんな夜もあります。

また、追々吐きにきます。


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