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安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「電話」③

「電話」第3回

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そのとき私には恋人がいた。
自分で劇団を主宰し、本を書き、演じている男だった。

三回生になり、大衆文化論ゼミの初日の顔合わせで私は理想の男を発見した。
そのゼミには映画やテレビのシナリオライター志望の学生が何人かいたがその中でもルックスも私好みで、一目見て快哉(「キャー」)を叫んだ(もちろん心の中)。
その夜のコンパで私は積極的にその男の隣に座り、飲み潰れた男を彼の下宿まで送っていった。
タクシーの中で男は歌を歌った。なんだか自作の歌のようで、「芝居をやってる男には惚れちゃならねえ…」とか何とかそんな歌 。
酔っているのを知っていて私は男に、「惚れちゃったらしかたないやん」と耳元でささやいた。
男はタクシーの中で私の手を握って、「柔らかい手やなあ。僕についてくる?」と聞いた。
私は酔っ払った男の胸に寄りかかって、「うん♪」と答えて一人で笑った。私が答えたときには男はすっかり眠ってしまっていた。
その夜は下宿の部屋まで彼を半分抱えるように連れて行って、そのまま私はタクシーで自宅まで帰った。

翌日その芝居好きの男から電話があり、「夕べ言ったこと覚えてる?」と聞かれ、「覚えている」と答えた。
しばらく沈黙があって、覚えていないという答えを期待していたのか、とちょっと不安になった。
「僕はそんなに酔ってなかったんやけど」、と言われて私は胸がいっぱいで何もこたえられなかった。
「今夜これから出られる?」と聞かれて「うん」と答え、
中山ラビのライブ聞きに行こうか」と誘われて一時間後には小さなライブハウスの混雑した中で寄り添っていた。
その夜のうちにキスをした。急速に恋の嵐が二人に襲い掛かるようなそんな恋の始まりだった。
次の日の夜、私はその男の下宿にいた。家庭教師のアルバイト先から一つ先の駅にあったので、バイトの帰りに我慢できずに訪ねたのだけれど男は全然驚くこともなく部屋に招き入れてくれてすぐに抱き合った。
私は初めてだった。うまくいかなかった。
初めてと思わなかった、と男がいい、それはどういう意味かよく私には理解できなかったのだけど、喜んでいいことばではないような気がした。
一気に盛り上がった恋がちょっと後退したような気がした。

次の週の教育心理の授業で吉本にあったとき、私はそのことを彼に話した。
うまくいかなかった話と男のことばと、それはどういう意味のことばなのかを尋ねた。
「どういう意味で言ってるのかは僕にもわからへんなあ。おまえが処女やというのは知ってたけど」と吉本は言った。
何で?と聞いたら、なんでかなあ。でも分かった、と言った。私はなぜかその言葉がうれしかった。
なぜうれしかったのか自分でもわからない。私は処女性などを全然大事に思ってはいないつもりだった。
「そやから一回僕とやっておいたら良かったんやん」と言うだろうと思ったけど、吉本は言わなかった。
そして自分の最初のときの失敗談を過剰に演出して話してくれた。本当の話なのか作り話なのかわからないようなとんでもない失敗談だった。
吉本の名誉のため、秘密にしておくけど。



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