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安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「はじめまして」②

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はじめまして②

この通院を朋子はいつからか心待ちにするようになっていた。面談室のドアを開け、デスクに向かう近藤が椅子をくるりと朋子の方へ回転させる一瞬にときめくようになったのはいつ頃からだろう。近藤は四十代の前半という年回りだろうか。白衣を着ないでいつもセーターかポロシャツという格好でいる。癖のない髪をやや伸ばしていて、前髪を掻き揚げるしぐさが子どもっぽいと朋子は思う。

学生時代の恋人にどこか似ている。その恋人とは大学の四年間付き合った。とても好きだった。卒業後その恋人は郷里の高知県へ帰ることになり、朋子に結婚を申し込んだ。朋子は逡巡した。大きな寺の長男である恋人との結婚は、朋子の成育環境とあまりにかけ離れた結婚生活を予想させたし、何よりも両親が反対した。
朋子の父親は弁護士である。兄もその当時司法修習生だった。母は行政書士という一家で、そういう家庭がかもし出す雰囲気を朋子はある年齢まではごく普通のものだと思っていた。少し成長してから友人の家庭を垣間見る機会に、その差異を実感することがたびたびあった。
高校時代、放課後に友人の家に立ち寄ったとき、友人に伴われその家のリビングに通された朋子はその場にいた友人の母親に挨拶しようとして立ちすくんでしまった。友人の母親はテレビを見ながら泣いていたのだ。そして自分の母親が泣いている姿に友人は笑いながら、「もう、また泣いてるゥ、ママったら。」と言い、そのまま朋子にも笑いかけた。言われたほうの母親は、今度は笑いながら、「一日に一回このドラマを見て号泣するのがママのストレス発散法なのよ。」と言ってから、初めて朋子に気がついたように、「いらっしゃい」と声を掛け、掛けられた朋子はすぐに挨拶を返せなかった。今まで経験したことのない雰囲気にたじろいだというか。それはほほえましい光景だった。友人の母親は、ティッシュで洟をかみ、目を真っ赤にしたままキッチンに立ち、友人も一緒に朋子のためにお茶やおやつの用意をしながら始終仲良くおしゃべりを続けていた。朋子は、自分の家庭とはずいぶん違うものだ、とまず感じた。ほほえましくて悪い感じはしなかった。けれど、と朋子は思う。人前で大きな声で笑ったり、まして泣くことなどまったくない自分の母親を思い浮かべて、そんな母親でよかった、と思った。朋子が何か迷ったときにはすぐに答えを出してくれる。間違った方向へ進みそうなときは訂正してくれる。朋子は常に背後にある母親の視線を感じていたし、そのことに安心していられることを幸福なことだと思っていた。母親は友達とは違うのだから、一緒に笑ったりおしゃべりするよりいつも正しいことを言ってくれるほうがいい。朋子は自分の母親がそんな母親でよかった、ともう一度思った。今目の前で楽しそうに笑っている友人の母親を好もしく思うことは自分の母親を否定することのようで、それは母親に対する裏切りだと思えた。

恋人との結婚に対する父や母の反対にまったく抵抗しなかったわけではない。反対されることで燃え上がる恋情がなくはなかったが、それでも、寺の跡取りの妻になる自分を想像できなかった。
父も母も決して理不尽な反対の仕方ではなかった。理詰めで説得され、納得せざるを得ないような形で、結局はその恋を断念したのである。理不尽に反対され両親を恨むことができたならまだよかったのかもしれない。朋子はどこにももって行き場のない喪失感の中で自分が半分死んでしまったような気がした。それも自分の手で殺した、という思いが残った。もう二度と人を好きになることはないだろうと思えた。

つづく


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