安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「はじめまして」その5

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「はじめまして」⑤

朋子は、その年三十四歳になっていた。修一は妻の美しさが時々まぶしかった。見合いの席ではじめてみた時、目眩がするほどだった。

小さい女性だな、というのが次の印象でそれも修一の好みだった。顔も手もどこも小さくて、消え入りそうな風情というのだろうか。体の大きい修一は、だからなのか小さい女性が好みだった。女性だけではなく、ミニチュアの模型など、とにかく自分の体のスケルとは違った小さきものに愛着してしまう性向があった。
結婚の承諾をもらったときは心底うれしかった。結婚までのデートで、自分と比べてあまりに小さい朋子を壊れるのではないかとの思いから抱きしめることも憚られた。もちろん抱きしめてキスをしたことぐらいはあったが、自分の腕の中で震えるようにしているその女性をどう扱っていいのか戸惑うほどだった。結婚前にはそれ以上のことができなかった。
初夜で初めて触れた朋子の肌は透き通るように白く、抱きしめると本当に壊れるのではないかと思えた。真っ白な繊細な陶磁器を思わせた。それは朋子の体の意外に冷たかった感触からのイメージでもあった。修一は朋子を愛しても愛しきれないような、自分の愛情が朋子のどこにも響いていないようなもどかしさを感じた。そのもどかしさは結婚生活の中でずっとずっと拭いきれないでいる。
三十四歳の妻はまだまだ若く、美しかった。育児や家事で不首尾な面が多々あったが、修一にはそれが朋子の未成熟さゆえであり、その妻の未成熟ささえ愛しく思えるのだった。
朋子は修一の性的な欲求に対してあまり積極的には応じてくれない。時折狂おしく妻に対して欲情するのだがその欲情をそのまま妻にあらわにすることが躊躇われた。三度に一度ははっきり拒まれることもあった。寝入り端や早朝のまどろみの中では比較的応じてくれるという感触があり、修一はいつも夢うつつの、心ここにあらずといった風情の無反応な妻の体しか抱けない状況にいる自分を悲しむこともあった。
渉を溺愛する妻を見ると心がざわつくこともあった。妻が「渉」と息子の名前を呼ぶときの声に何かを感じてしまう自分がいた。そういう自分をおろかだと思いながらも渉に嫉妬しているとはっきりと自覚することもあった。
修一は、定期入れに妻の写真を入れている。そのことを職場の同僚や部下たちは知っていて、当然冷やかしの対象になる。
「きれいな奥さんですね。」と部下たちの儀礼的とばかりもいえないほめ言葉にも、「実物はもっと美人だぞ。」などとやり返して、ことさらに愛妻家である自分をアピールしてしまうことがある。息子に嫉妬してしまうなどと愚かでみっともない自分をとことん戯画化したいと思っていたのかもしれない。ただの愛妻家として処理して笑い話の範疇にとどめておきたかった。おきたかったなどという言い回し自体がそれ以外の複雑な思いをはらんでいることの証なのだが、それ以上のことはなるべく考えまいとしていた。
渉が朋子の希望した私立の小学校の入試に合格したとき、もちろん修一も喜んだが朋子の喜びぶりの尋常でなさを見せられるとやはり心がざわつくのだった。そして、その母親を見る春菜の表情を修一は痛ましく見たのだった。
妻がいて自分がいて春菜と渉、まずまず恵まれた家庭だろう。
渉の入学記念にと家族写真を、ちょっとは名のあるプロのカメラマンに撮影してもらった。その家族の肖像はしゃれた写真立ての中で、いま、リビングの飾り棚の一番目立つ場所に収まっている。美しい、整ったその肖像が時折修一には見つづけられない気分にさせてしまうことがあった。きっと考えすぎなんだろうと思いながら、そんな自分を笑い飛ばしてしまおうと思いながら、笑い飛ばしてしまうことに失敗してしまうのだった。

以前よりは扱いやすくなった春菜の変化を見て、朋子は、中学は私立に入れたいと考えるようになった。春菜にその自分の希望を話したとき、春菜は受験すると答えた。朋子は、初めて春菜が自分の意に添う反応をしてくれたような気がしてうれしかった。すぐに進学塾へ通わせる手はずを整え、週に三回の塾への送り迎えを負担とも思わず朋子は春菜のお受験に気合を入れた。

ちょうどそのころだったろうか、テレビのドキュメンタリー番組で四国の霊場のひとつである古刹が取り上げられ、その寺の人々の暮らしが紹介された。    
老いた住職とその妻と跡取りの息子と嫁が、お遍路さんを温かく迎えるというヒューマ二ティあふれる番組だったが、それをたまたま見ていた朋子はもしかしたら自分のもうひとつの人生だったかもしれないと、その寺の嫁という立場の女性を注視した。その寺はもちろん朋子のかつての恋人が跡を継いだ寺とは違ったが、自分にも同じようなもうひとつの人生があったのかもしれないという気持ちで見てしまったのだ。そして、それを選ばずに、今ここにいることを肯定した。私にはああいう生活はできなかったわ。一日中舅や姑と過ごし、自分の自由な時間もなさそうな生活は自分には耐えられなかっただろうと思えた。
郊外とはいえ、しゃれた一戸建てを手に入れ、健康な二人の子どもに恵まれ、穏やかで自分を愛してくれる夫を持ち、習い事や趣味に時間を使い、時には渉の学校の母親仲間とランチを楽しむという生活を朋子は自分の思い描いていたとおりの結婚生活ではないかと確認するように振り返った。
自分の育った家庭と似ている家庭。
私の選択は間違ってはいなかったとその夜ベッドに入ってからもさっき見たテレビの映像を思い出し何度も確認した。その夜、朋子は初めて自分から夫に体を寄せた。修一は驚き戸惑いつつも朋子を抱いた。夫の行為の中で朋子はやはり満足できない自分を知ってしまったのだが。
春菜は、やはりなかなか気難しい子どもではあったが、彼女なりに母親の期待に応えようとしているように見えた。朋子は渉と比較するまいと、また彼女もそれなりに努力した。母と娘の、蜜月とまでは行かないが以前に比べれば安定した関係の中で、中学受験という大きな目標に向かって数年が穏やかに過ぎた。
第一志望は叶わなかったものの、大学までエスカレーター式に進学できる女子校に合格が決まり、朋子は素直に喜んだ。春菜もうれしそうだった。修一は殊のほか喜んだ。
「ここの制服は春菜にとてもよく似合うわ。」と朋子は、性格はぜんぜん似ていないのに容姿は年齢とともにますます自分に似てくる春菜を誇らしく思う自分に酔った。

つづく



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