読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「はじめまして」その7

f:id:quietsea526:20170518213410j:plain

「はじめまして」⑦


春菜の変調を修一は痛ましく見ていた。無理をさせないほうがいい、と妻には何度か言ってはみたが、その言葉は朋子を混乱させるだけのように見え、次第に口をはさめなくさせていた。そのころ修一は会社で大きなプロジェクトを抱えていた。家庭内を覆いつつある暗雲を掃うだけの気力と時間的余裕を持たなかった。春菜の苦境にもつい目そらしがちだった。いや、見るに忍びなかったのかもしれない。春菜の痛ましさは自分の痛ましさではないかと、そこへ思い及んでしまうことが怖かったのかもしれない。数ヶ月のち、やや仕事のほうにも余裕ができたころ、春菜は完全に学校へ行けなくなっていた。朋子もまた、無理に学校へ連れて行くことに疲れてしまったのか、朝自室から出てこない春菜をヒステリックに呼び立てるということもしなくなっていた。
修一はある日曜日、春奈に、「みんなでドライブに行かないか」と誘ってみた。閉じられたドア越しに声をかける。そのドアの向こうへ長く入っていない。朋子に聞くと、春奈は自室に朋子が入るのを激しく拒否しているという。返事はない。朋子によると、ここしばらくはほとんど部屋の中に閉じこもりになっていると言う。渉が、「ドライブ?僕も行っていいの?」というのを朋子は、「今日は、サッカーの試合でしょ。早く準備しなさい。」と急き立てている。春奈が、修一の誘いに応えるはずがないと思っているようだ。修一はそれ以上声をかけなかった。もし、自分の呼びかけに春奈が応えたら、朋子は傷つくのだろうか、と考える修一もいた。
三十分ほどして、朋子と渉は出かけた。当然のように車はその二人が乗って行ってしまった。リビングの飾り棚の前で、そこに収まっている二枚の家族写真を修一はしばらく見ていた。ドアの開く音がして、春奈が階段を降りてきた。。
初夏の頃に短くしていた髪ももうずいぶん伸びている。修一は春奈に痛ましさを見てしまう。朋子と渉が出かけてしまった後の家の中に置き去りにされたもの同士のような痛ましさの共感を春奈に抱いてしまう。
春奈が自分にそういう共感を見出しているとは思えないが、とにかく、春奈は部屋から出てきたのだ。拒絶はしていない。
「朝ごはんは食べたのか?」と聞くと、「食べた」と答える。
「車、ママが乗って行っちゃったんだ。」と言うと、「知ってる」と答える。薄いレースのカーテン越しの真冬の澄んだ日差しに照らされて、春奈の白い頬が際立つ。その表情は、硬いままだが、強い拒否はない。修一はさっきから春奈が自分を拒否するものと決め込んでいたことに気がついた。気がついてみると、春奈の別の表情が見えてくる。小さいときから、母親よりも自分になついていた春奈を思い出し、修一は、いつの間に自分は春奈に拒否されていると思い込んでいたのだろうか、と考える。春奈は、大きくなるごとに朋子に似てくる。その相似が、春奈と自分の距離を作っているのか、と考えてみる。朋子との間の距離に修一は無意識のうちにも傷ついているということなのだろうか。その距離を縮めたくて修一は春奈の髪に触れてみる。
不意に春奈が顔をあげて、「ママがいなくてほっとする。」と言った。「ママの言うとおりにはしたくないの。」と、小さく、けれど修一に訴えるように春奈はつぶやいた。修一は、はっとする。そのことばは、ことばだけで捉えるなら、春奈の朋子への拒否に聞こえる。さっき見た、美しい家族写真の中の自分の家族が、お互いの間に拒絶のドアを立て、お互いを隔てあっている、そんなイメージの中で暗澹とした気持ちになる。しかし、春奈のこの痛ましさは何なのだろう。そのとき、春奈が、「パパがかわいそう。」と言った。言った後で、後悔したように階段を駆け上がっていった。春奈もまた、父親を痛ましく見ていたのか?修一は、リビングに取り残されたまま、その誰もいない部屋に自分さえもいないような心もとなさを感じてしまった。
その日、夕方になって朋子が帰ってきたとき、修一は春奈のことばを朋子に伝えられなかった。


つづく

にほんブログ村 テレビブログへ
にほんブログ村


にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ
にほんブログ村



にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村