安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「はじめまして」その8

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「はじめまして」⑧
学校から紹介された病院に春菜を連れて行きますね、とある朝朋子に告げられた。小児専門の国立病院の心療内科だという。医療的処置が必要なところまできているのか、と修一はたじろいだ。修一には言いたくて言えない思いがあった。春菜に必要なものは医療ではなく母の朋子の愛情なのではないか、と。春菜をもっと愛してやれないのか、と。その言葉は妻にもっと自分を愛せと懇願することになるような気がして言い出せなかったということを、もう少し後になってから修一は自覚したのだが、このときは、なぜ、そう言えないのか、と自分を訝しがっただけだった。

朋子は、混乱したままだった。修一は無理をさせるなと言うが、学校へ行かないで春奈はどうなるのだろうと、その不安のほうが先に立った。学校へ行こうとしない春菜の内部で何が起こったのかわからなかった。いじめられているのか、それならそのいじめっ子を学校側に訴えて処分してもらわなければ。けれど春菜はそれを強く否定した。お友達はたくさんいる、お友達には会いたいと思う。でも学校には行きたくないと言い張るのだ。
なぜなの?なぜなの?と春菜を問い詰め、明確な回答が得られないとわかると今度は自分の内部でその質問を繰り返した。余計に回答はどこにもないと思えた。理由がわからないということが、朋子を不安にさせた。

春菜を伴い受診した病院で、自分の生育暦を問われた。なぜ私の事を聞きたがるのだろうと思わずにはいられなかった。自分と同年代のその女性医師に向かって、朋子は、父は厳しかったが深い愛情で自分を包んでくれた、母は仕事をもっている人だったが、そんな母親を誇りに思っていたからさびしく思うことはなかった、などと説明すると興味深げにそれを丹念にノートに書きつけるその医師を見て、私に関係があるというの?と問いただしたかった。春菜の登校拒否が私の責任だと言いたいの?と。

春菜はその医師に何も話そうとしなかった。しかし、それがその医師に対する反発からなのか、母と同席の場では言いにくいことがあるからなのか、医師の判断で、途中から朋子は退出させられた。理屈ではその方がいいという判断なのだろうとわかっても、感情が反発してしまった。その女性医師に対しては最初から気に入らなかった。
帰りの電車の中で、朋子は、春菜に「感じの悪い先生だったよね、別の先生に変えてもらったほうがよくない?」と聞いてみた。春菜は「別に」と言ったが、朋子は春菜も気に入っていないはずだと確信した。翌週の診察のとき「春菜が話しにくいといっていますので、担当を変わっていただきたい。」とその女性医師に直接話した。
まだ一回では何も判断できませんけど、と言いよどみながらも検討してみましょうとその女性医師は困惑気に答えた。翌週から近藤が担当することになった。

最初の面談では世間話のような会話から始まった。
「趣味は何ですか。」との問いに朋子は、趣味って何だろうと考え込んだ。
考え込む朋子に「ひまな時間は何をしています?」と近藤は補足するような問いに変えた。答えがスムーズに出てこないことに苛立ってというのではなく、答えやすいようにとの配慮なのだろうと朋子は感じられた。女性医師に対する違和感は近藤には感じられなかった。
「ひまな時って主婦にはそんなにひまな時間があるわけじゃありません。」と答えてみる。
「もちろん、そうでしょう、うちの家内もいつも言ってますよ。主婦には休日がないって。それでも、たとえば無理に時間を作ってでもこれがしたい、というようなものはないですか?ちなみに家内はテニスをやっていますよ。ひまがないっていいながらちゃんとそういう時間は捻出してます。僕だって、これでもかなり多忙ですけどね。笑われちゃうかもしれないけどプラモデルが趣味なんですよ。」
「あ、主人がプラモデル作っています。船の模型をいくつも作って、もう飾るところがなくて困るんですけど」
「ああ、そりゃいい。ご主人とは話が合いそうだなぁ。」
「主人は五十歳なんですよ。」
「ご主人の年齢にご不満がありますか。」
「いえ、そうではなくて、話が合いそうだとおっしゃったんで…」
「あなたはご主人と話が合わないと感じられているのですか。」
「話が合うってどういうことなんでしょうか。」
「共通の話で盛り上がれるっていうか。話をしていて楽しいとか・・・」
「だったら話は合いません。彼の興味のあることに私は興味をもてませんし。」
「なるほど」
近藤は、カルテに何か書き込んだようだった。
「では、来週までに考えてきてください。」
「何を?」
「趣味です。何をしている時間があなたにとって楽しいと感じられるか、でも構いません。」
そう言いおいて、「では、来週の予約をしていってくださいね。」
と朋子に微笑んで見せた。その微笑む表情に朋子は思い出される面影があったが、無理に封じ込めた。

つづく


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