安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

連載小説「はじめまして」その13

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「はじめまして」⑬

五月の陽光が、降り注いでいた。新しい緑が陽の光を反射している。
季節は進んでいる。春菜が学校へ行けなくなってからの日々、光を光として感じることができなかったことを朋子は思った。その間にも緑は芽吹き、花は咲いていたのだろう。空を見上げると、青かった。空は青いというのも久しぶりに思い出したような気がする。

春菜は、まだ学校へは行けない。なのに、光を感じ、空の青さを見上げられるのはなぜだろうと朋子は思う。気持ちがふさぎこんでいたとき、いつか晴れる日はくる、と思い描いていた。イメージの中で春菜が制服を身につけ、笑顔で登校するというシーンを思い描いていた。見送る朋子の心は晴れ渡っている。そんな日がくることを夢のように思い描いていた。
でも、そういう日が来たわけではない。春菜は相変わらず部屋に閉じこもりがちのままなのだ。朋子は、自分のなかで何かが微妙に変わりつつあることを感じていた。それが何かはわからないけれど。
今朝、空を見上げて、確かに私の気持ちが変わったのだ、と思えた。

五月下旬の土曜日、病院へ向かう道すがらで朋子は何度も何度も空を見上げた。そのとき朋子の携帯が鳴った。家にいるはずの修一からだった。
「病院何時に終わる?」
「一時ころかしら。」
「渉を連れて出るから、どこかで待ち合わせて四人でいっしょにお昼を食べよう。」
「渉、今日はスポーツクラブの日よ。」
「いいじゃないか、一日くらい休ませても。」
なぜか、その電話がとてもうれしかった。朋子は、「じゃ、そうしましょう。」と言って、待ち合わせ場所を決めて切った後で、思い立ってすぐに実家へかけ直した。

「いま、パパから電話。ねえ、春菜、病院が済んだら渉とふたりでおばあちゃんちに遊びに行かない?」
「どうして?」
「今日、ママね、パパとデートなの。二人だけで映画見て、食事するのよ、だめ?」と春菜の顔をのぞきこんだら、春菜の笑顔が返ってきた。
「いいよ、おばあちゃんの家まで二人だけでいけるよ」
「ありがとう。パパとデートなんて久しぶりだわ。」
「ママ、パパのこと好き?」
春菜の問いかけは彼女の願いがこもっているような気がして、朋子は簡単には答えられなかった。この子は全部を見抜いていたのかもしれない、と朋子は改めて春菜を見つめる。そして、春菜の目を見て、「好きよ。」と答えた。春菜がまた微笑んだ。
「私も、パパのこと好き。・・・・ママのことも好き。」と春菜は言った。
「ママも春菜が好き。」
二人で微笑みあうことができた。宿題が全部済んだ、と朋子は思った。
見上げると、五月の空は薄い雲を引き、その雲間で太陽がいっそう輝いて見えた。
その日の面談で、朋子はあることを知った。近藤の名前が修一であることを。
カルテを綴じこんだファイルにその名前を発見した。今まで一度も気が付かなかった。
「先生のお名前、修一っておっしゃるんですか?」
「ええ、そうです。親父が修で、その長男で修一です。安易な命名でしょ?」と近藤は笑う。
「それって、主人も同じです。主人の父も修で主人が修一なんですよ」
「ええ、春菜さんから聞いていました。僕、ご主人に似てますか?春菜さんは、パパに似てるって言うんだけど。」
朋子は、なんだかおかしくて笑いがこみ上げてきた。
「そんなにおかしいですか?」
「いえ、ごめんなさい。そういえば似ているかもしれません。」
言った後でもなかなか笑いが止まらなかった。近藤はわけがわからないという顔をしながらも、そんな朋子を見て、いっしょに声をあげて笑った。

待合室のソファで、春菜が本を読んでいた。その姿を距離をおいて見ているうちに朋子は考えていた。学校へは行ける時が来たら行けばいい。その日がいつになるかわからないけれど、朋子はもう焦らずに待つことができるような気がした。そのとき病院の正面ロビーに修一が渉の手を引いて立っている姿を見つけた。
修一は面談室から今出てきたところの朋子を見つけた。長い廊下の先に妻の姿を見つけて緊張している自分がいた。
修一は、まるで中学生のように緊張していた。今日中になんとしても妻に聞いてみたいことがあった。その答えがどんなものであろうとも、聞かなくては先に進めないような気がしていた。長い廊下の先に立つ人が、まるで初めてであって自分の心をときめかせる人のような気がしていた。

朋子は、正面ロビーの、ドアからの明かりの中で立っている夫が、まるで出会ったばかりの人のような気がした。その人が自分を見つめている。この人から私は思いを告げられるのを待っている。どきどきしている自分に気がつく。

春菜が、朋子を見て、そして修一を見た。立ち上がって渉のそばへ行き、渉をつれて、ロビーの一角に設置された大きな熱帯魚の水槽のところへ連れて行った。
修一が、ゆっくりと朋子に近づいてきた。朋子は微笑もうとしてうまくいかず、少しうつむいてしまう。もう一度修一を見たとき、朋子の心の中でなぜかこんな言葉が浮かんだ。

「はじめまして」

今日から始まる何かがあることは確かなような気がした。

おわり(ながながとつまらない小説を読んで下さってありがとう)



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