安寧なんか欲しがりません

まだまだ、まだまだですよ~

品位

父母に対する尊敬というものは、公文にとって、人生の基本的な品位に関わるものであった。

というのは昨夜読んでいた小説の一節なのだけれど、この一文をすっと読み過ごすことができず、その前後も含めて何度も読みかえしてしまった。
とても心に響いたわけです。

公文某という主人公の男は40代の半ばを過ぎて独身で、過去に結婚式を挙げるというところまで行った女がいたけれど母親の気に入らず、結局100日ほどの同居の後、入籍もしないまま別れたという経験があった。
その女性視点の文章の中で公文という男は、恋人より母親を選んだマザコン男と断じられている。
まあそれも間違ってはいない評価だろうと読者には思える。
その男の感慨としての冒頭の一行である。
是非ともこの一文を読ませたい輩がいるんだな、私には。だから読み流せず、くり返し読んでは、その一文をノートに書き留めたりしている。

感情を的確に言葉にするのは難しいことで、ああこの気持ちうまく言葉にできない、というもどかしさの中で、結局は一瞬の感情の多くは次の感情がやってきたらすぐに忘れ去ってしまう。
日々の煩雑の中で言葉にできない感情のかけらはどんどん胸の奥の底の深いところにうずもれていくだけ。
それでいいのかもしれないと思うこともある。いちいちの感情をいちいち取り立てて名前を付けて陳列していたら暮しは立ち行かないってこともわかる。

先週実家に短く帰省していて、母と同居する兄夫婦の母への態度にはいつも何やら不穏な感情が渦巻きつつも、同居する人たちの鬱陶しさは遠くで暮らすものには本当には分からないものだし、とその感情をいつも仕舞い込んで、口では「お義姉さん、いつもお世話掛けて、母をよく見て下さってありがとう」と、相当な忍耐力を擁しつつもその態度を貫き通している。でも胸の中では不穏な感情が渦巻いている。この感情はなんなんだろうか。

で、冒頭の一行を読んだとき、とても腑に落ちるような気がしたわけです。

自分を生んでくれた人への敬意をなくすことは自分の人生を軽んじることになりはしまいか、というのが、多分私がここ数年来実家に帰省する度に胸に渦巻いていた言葉にできない感情だったのだな、と気づいたわけです。

老いた母が尊重されていないことが無念でならないのは、私の人生の基本的な品位が傷つけられているように感じるという感性について、実家の兄夫婦はとうてい共感し得ないであろうから。

とこのところの私の感情が言語化されたということについて、腑に落ちたということをここに記しておきます、とりあえず。